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ホーム住まいのコラム>エッセイ「暮らしに密着した減災教育を」:室崎益輝氏

暮らしに密着した減災教育を

 

大きな地震が発生するたびに、尊い生命が無残にも奪われる。悲しい人的被害の知らせを聞くたびに、その中の1人でも救えなかったのかと口惜しく思う。それらの無念の犠牲をみると、自然の巨大な力に飲み込まれたもので、どうしようもなかったものが殆どである。しかしその一方で、あわてて家の中から道路に飛び出して交通事故に遭った、本棚から落下した書籍の下敷きになってしまった、という死亡の原因を聞くと、命を守るための生活の知恵や暮らしの作法を「減災の文化」として普及する取り組みを、もっと強力に進めておけばよかったのにという思いが込み上げてくる。
知恵や作法の普及が必要だといったのは、歴史的に培ってきた減災に必要な文化が、伝承されず風化している、あるいは誤って流布されていると思うからである。ところで、この風化や流布の問題点は、大きく次の2つに大別される。それは、生活習慣に関わる問題点と応急対応に関わる問題点の2つである。生活習慣の問題というのは、安全や安心につながる「住まいの保守管理」や「暮らしの防備慣行」などが廃れつつある、ということである。応急対応の問題というのは、危険を回避するための「危急時の防護心得」や「避難時の行動原則」などが曖昧になっている、ということである。さて、前者の問題点には、予防原理としての「用意周到」というキーワードを、後者の問題点には、応急原理としての「臨機応変」というキーワードを思い起こす必要があろう。

暮らしの中の減災文化…用意周到

そこでまず、住まいや暮らしの中の「用意周到」について考えてみよう。この用意周到では、第1に「危険の芽を摘みとる」ことが求められる。ここでは、地震などで命を奪う「危険の芽」が日常の暮らしの中で生み出されている、ということを肝に銘じていただきたい。阪神・淡路大震災での死亡原因をみると、その殆どが住宅の倒壊、家具の転倒である。このうちの住宅の倒壊は、住宅の耐震性の欠如や劣化によるのである。その劣化の原因の1つとして、土台や基礎の腐食、シロアリの食害、不用意な壁の撤去といったことが指摘されている。これらは、住まいの維持管理や補修改善に心がけておれば、避けられたものである。また、もう1つの家具の転倒は、無頓着な家具配置や無防備な家具設置によるものである。寝室に背の高い家具を置かない、危険な家具の転倒防止を図るなどの配慮があれば、防ぎえたと考えられる。ということで、日頃から、住まいのメンテナンスや整理整頓に心がけて、安全や安心につながる暮らしに努めなければならない。
第2に、「不意の事態に備える」ことが求められる。いざという時のための「非常の備え」を日常の暮らしの中に仕込んでおくことが欠かせない、ということである。従来は、食糧の備えとしてのお米の買い置きや漬け物や干物の確保、医薬の備えとしての薬箱や救急箱の常備が、道具の備えとしてのノコギリやハシゴの用意が、どこの家庭でも行われていた。暮らしの中に備蓄や防備の文化が溶け込んでいたといってよい。ところが、コンビニの普及や交通網の整備などによって、日常における生活の便利さが増すにつれ、こうした暮らしに密着した備えの文化は失われつつある。このことが、怪我をしても治療できない、孤立したとしても自給できないといった、他人頼みの脆弱な状況を生み出している。

 

危急行動の減災文化…臨機応変

次に、危急時の対応原則としての「臨機応変」に触れておきたい。臨機応変というのは、状況や事態の変化に応じて最も適切な行動をとる、ということである。ここで留意しなければならないことは、状況が違えばとるべき行動も違ってくる、ということである。先に述べた「道路への飛び出し」について、「揺れている間は家の中という原則を忘れて、慌てて外に飛び出したのが悪い」といって批判する声がある。しかし、この批判は必ずしも正しくない。阪神・淡路大震災の時は、慌てて外に飛び出した人が助かって、飛び出さずに家の中にいた人が命を落とした。阪神・淡路では、「原則にしがみついて家の中にいた人が悪い」ということになる。つまり、「飛び出すか、飛び出さないか」は状況次第ということである。家が耐震補強されていて、倒壊する危険性がないのなら家の中にいる、家が耐震補強されていないのなら、安全確認をはかりながら外に出る、というのが正しい行動原則ということになる。
いつごろからか、ハウツウもの的な断片的知識の押しつけが、日本の防災教育の基本となってしまっている。そのことが、市民の防災力の低下を招くことにつながっている。「グラッと来たら火の始末」「グラッと来たら机の下」「街を歩いている時は道路の真ん中に」など、風説的な危うい知識の押し売りは枚挙に暇がない。これらの流布されている知識がいかに危ういかを阪神・淡路の事例で検証しておこう。ガスの元栓を消そうとして慌てて1階に降りて死亡した人がいる、グラッと来たので急いで机の下に潜って死亡した人も少なからず存在する。いずれも、ワンパターンのいい加減な行動原則にあまりに忠実であったがための悲劇ということができる。ということで、臨機応変の視点にたつならば、火の始末については、マイコンメータが普及している地域では、無理をしてまで揺れている最中にガスを消す必要がない。机の下については、家が倒壊する恐れのある場合には、脆弱な食卓ではなく頑丈な座敷机を選ばなければならない。

 

住まいと地域に密着した教育

防災対策には、ハードウェアとソフトウェアの両方が欠かせない、といわれる。私はこの2つに加えてというかそれ以上に、ヒューマンウェアが欠かせない、と考えている。人間の意識や知識あるいはライフスタイルのあり方が、減災のキーポイントだからである。減災教育に積極的に取り組んで、暮らしそのものを変えていかないといけない、と思っている。住宅の構造や形式も大切だけれども、暮らしの作法はそれ以上に大切なのである。
ところが、わが国の防災教育をみると、大きな欠陥がある。これらの欠陥ゆえに、日本人の防災意識や減災文化が極めて貧弱なものになっている、といって過言ではない。その欠陥の第1は、衣食住に関わる教育の中で、とりわけ住教育だけが遅れた状態にある、ということである。第2は、学校教育に依存し過ぎて、家庭教育や地域教育がなおざりになっている、ということである。第3は、意識や素養を育てることを忘れて、知識の詰め込みに走っている、ということである。そのなかで特に問題なのが、3番目の「知識の切り売り」という欠陥である。アメリカなどの防災のパンフレットをみると、地震が起きるとどうなるかという、高齢者や障害者のハンディをどう理解するか、といったことが懇切丁寧に解説してある。その解説の後で、住宅耐震補強のあり方や要援護者支援のあり方が述べられている。ところが日本のパンフレットをみると、地震のメカニズムなどすっ飛ばして冒頭から、グラッと来たら机の下にとか、揺れがおさまるまで家の中とかが、なぜ机の下か、なぜ家の中かの説明もなく、記載されている。
こうした教育では、生活に密着した危機管理も状況に応じた対応行動も期待できない。ということで、災害に備える住まいと暮らしの教育のあり方を見直す必要性を、痛切に感じている次第である。ユーザーとメーカーさらにはコミュニティの連携による「住まいと地域に密着した減災教育」のコペルニクス的展開を、と思っているのですが……?

 

室崎 益輝(むろさき よしてる)氏 
関西学院大学総合政策学部教授。神戸大学名誉教授。工学博士。昭和19年、兵庫県生まれ。昭和42年3月京都大学工学部建築学科卒業。昭和46年3月京都大学大学院工学研究科博士課程中退後、京都大学工学部助手、神戸大学工学部助教授、神戸大学工学部教授を経て、平成10年4月神戸大学都市安全研究センター教授。平成16年3月神戸大学を退職し独立行政法人消防研究所理事長、消防庁消防研究センター所長を経て平成20年4月より現職。この間、京都大学防災研究所客員教授、中央防災会議専門委員、国土審議会特別委員等を歴任。日本火災学会賞、日本建築学会論文賞、都市住宅学会論文賞、防災功労者防災大臣表彰などを受賞。著書に『地域計画と防火』(勁草書房)、『危険都市の証言』(関西市民書房)、『新版・建築防火』(朝倉書店)、『建築防災・安全』(鹿島出版会)、『大震災以後』(岩波書店)など。

 

 

(社)日本ツーバイフォー建築協会会報誌「ツーバイフォー」のVol.175 2008年9月号からの転載記事です。
(2008年9月1日掲載)

 

 

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