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エッセイ 私の理想の家(作家 小川 洋子氏)


作家 小川 洋子様

小川 洋子(おがわ ようこ)氏

1962年岡山市生まれ
早稲田大学第一文学部文芸科卒業
主な著書:『妊娠カレンダー』(1990年芥川賞)『博士の愛した数式』(2004年読売文学賞・本屋大賞)『ブラフマンの埋葬』(2004年泉鏡花文学賞)『ミーナの行進』(2006年谷崎潤一郎賞)『原稿零枚日記』など。最新刊『人質の朗読会』
2007年7月より芥川賞選考委員に参加。2011年現在、太宰治賞、三島由紀夫賞、読売文学賞の選考委員も務める。阪神タイガースのファンとしても有名。


子供の頃、新聞広告の裏に家の間取り図を描くのが、大きな楽しみの一つだった。絵本を読むと、主人公たちの住まいをあれこれ想像し、詳細な間取り図を作成した。『家なき子』のレミがお母さんと二人で暮らす質素な家、シンデレラが舞踏会に招待されるお城、森の奥にある、ぐりとぐら、の小屋、ラプンツェルが閉じ込められる塔、『小公女』セーラがいじめに耐えてがんばる寄宿舎……。いくらでも題材はあった。

シンデレラのお城は、図書室、衣裳部屋、朝食室、サンルーム、乳母の控え室、遊戯室、馬小屋、温室と延々広がってゆき、一枚の広告では足りず、何枚もセロテープでつなぎ合わせなければならなかった。描いているうち、イメージはどんどん膨らみ、ドアノブの形からカーテンの模様まで、ベッドの柔らかさからシャンデリアのきらめきまで、あらゆる細部がくっきりと浮かび上がってきた。

それほど細部が鮮明であるにもかかわらず、なぜか入口のない部屋があったり、応接間より納戸の方が広くなったり、奇妙な事態があちこちで発生していたが、そんなことはお構いなしだった。ただ、裏が真っ白の新聞広告と絵本さえあればいくらでも時間を忘れて遊ぶことができた。本を読んでいるより、間取り図を描いている時の方が、もっと深く物語の世界へ入っていける気がした。

出来上がった間取り図を眺めていると、必ず不思議なことが起こった。いつしか本のストーリーは遠のき、そこに新たなお話が生まれているのだった。シンデレラは嫉妬に狂ったお姉さんに誘拐されて地下牢に閉じ込められ、レミは実のお母さんと育てのお母さん三人一緒にお城で暮らし、セーラは寄宿舎を孤児院に改装して院長先生になる、という具合だった。

私にとって絵本を読むことと、お話を作ることの間にさほどの違いはなかった。本を読みながら同時に、図々しくも勝手にストーリーを変更したり、続編を考えたりしていた。ただ、まだ子供で言葉がきちんと使いこなせないため、代わりに間取り図を描いていたのだろう。間取り図こそが私にとって物語の原点なのだ。

考えてみれば、毎日小説を書いている私は、新聞広告の裏に一生懸命鉛筆を走らせていた頃と、何ら変わっていない。四十年以上、ずっと一つのことに熱中し続けているうち、いつのまにかそれが職業になっていた。進歩がないとも言えるが、やはり、幸せなことと感謝しなければいけないのだろう。

今でも新しい小説を書きはじめる前には、登場人物たちの家の造りを考える。広さはどれくらいで何階建てなのか、材質は何か、築何年が経過しているのか、家具の趣味はどうか、整頓が行き届いているのかごちゃごちゃしているのか、庭にはどんな植物が植わっているのか……。実際、小説の中で描写するかどうかは別にして、考えるべきことは山ほどある。時に、ストーリーよりもそれらは大事な問題となる。というより、家のイメージさえしっかりつかめれば、その中で登場人物たちは自由に動き回り、そこからおのずとストーリーも展開してゆく。家が物語の大事な輪郭を作ってくれる。

これまでいろいろな所に住む人々を小説に書いてきた。フェリーでしか渡れない沖の小島に一人暮らす、老いた翻訳家がいた。半ば廃墟になった元女子専用アパートで、標本作りに励む技術士がいた。芸術家のための宿泊施設で管理人をしている青年もいれば、お姉さんの家の離れで、ひっそり数式を解く数学者もいた。創作ノートには、彼らのアパートや離れの間取り図がちゃんと残っている。家だけでなく、町全体の地図が描かれている場合もある。相変わらず東西南北が滅茶苦茶だったり、縮尺が間違っていたりするけれど、言葉ばかりが乱雑に書き記されたノートのなかで、そこだけが一つの立体的な映像となって特別な空気を放っている。

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さて、九年ほど前、長く暮らした倉敷から阪神間へ引っ越した。すぐ隣の県にもかかわらず、随分雰囲気が違うので驚いた。海と山と川がいっぺんに視界に入り、三本の電車が仲良く並んで走り、洋菓子屋さんとパン屋さんと美容院が沢山ある町。これが第一印象だった。

そしてもう一つ、由緒正しいお屋敷町が点在し、息を飲むような豪邸に出会えるのも新鮮な喜びだった。引越ししてきた当初は、豪邸を探してあちこち歩き回った。

どこまでも続く御影石の塀、立派な枝振りの木々、そびえるほどに高く重々しい門扉、梢の間からわずかにのぞくオレンジ色の屋根と、出窓と、テラス。誰のお宅かも分からない家の前で、私はしばらくうっとりしていた。ちらっとでもいいから人影は見えないかと目を凝らしてみたが、人の気配はなく、緑の向こうはただ静けさに包まれているばかりだった。

その時ふと私はつぶやいた。

 「ここにはどんな人が暮らしているんだろう」

つぶやき終わった瞬間にもう、私の頭の中では間取り図が展開し、屋敷の全体像が立ち現れ、登場人物たちが生き生きと動き出していた。どこからともなく物語がはじまっていた。子供の頃、間取り図を描きながらお話を考えていたのと全く同じだった。

こうして生まれたのが、一九七〇年代の芦屋を舞台にして書いた『ミーナの行進』だった。岡山に暮らす十二歳の少女朋子は、家庭の事情から一年間だけ、芦屋にある従妹のミーナの家に預けられる。飲料メーカーの社長の娘であるミーナは、大変な美少女でありながら体が弱く、小学校までペットのコビトカバに乗って通学している。外の世界を自由に飛び回れないミーナは、マッチ箱の収集を生きがいとし、箱に描かれた絵から想像の翼を羽ばたかせ、さまざまなお話を作っている。朋子はそんなミーナの才能を認め、よき理解者となり、二人で一緒に成長してゆく。

自分の書いた小説のあらすじを自分で説明するのは照れくさいのだが、まあ、こんな話である。

ここで私が精力を注いだのは、もちろんミーナが住む芦屋の邸宅の設計だ。図書館で阪神間の歴史を多少勉強し、ますます実地の見学にも力を入れ、自分なりの理想のお屋敷を組み立てていった。まず、全体的な方向としてはスパニッシュ様式、と呼ばれるものを採用した。阪神間で高級住宅地が拓けていった時代、風土にマッチすることから多くのお金持ちたちに愛された様式で、白やクリームなど明るい色合いの外壁、丸みを帯びた瓦、アーチ形の玄関ポーチや窓が特徴になっている。

様式さえ定まればあとは自由に空想を広げてゆくばかりだ。居間には暖炉があり、お祖母さんの部屋はヨーロッパから運んだ古い家具で居心地よく整えられ、台所はいつもお手伝いさんの手によってぴかぴかに磨き上げられている。ミーナのベッドは天蓋付きで、朋子の部屋のベランダからは広い庭が一望できる。その庭の先に池があり、コビトカバのポチ子が住んでいる。

主人公の家が私にとっての理想の家であったおかげで、『ミーナの行進』は珍しく楽しんで書くことができた。連載の途中、ちょっとくたびれて元気をなくした時は、創作ノートをめくり返し、家の間取り図を眺めればすぐにまた意欲が戻ってくるのだった。

『ミーナの行進』を書き終わり、一段落ついたところで、今度はいよいよ自分の家を建てたくなった。もちろんミーナのような豪邸は到底無理なのだけれど、あれの百分の一でいい、スパニッシュ様式の、明るくて上品な家が建てたい、という気持が抑えきれなくなってきた。

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ある日、近所の住宅展示場へ行き、私の理想を最も忠実にかなえてくれそうなモデルハウスへ、そろそろと足を踏み入れてみた。それがM社のツーバイフォー住宅だった。結局、その日出会った担当のMさんに最後までお世話になることとなった。

自分の理想について語る私の話にMさんは熱心に耳を傾け、ぴったりの設計士さんを紹介して下さった。

 「最初からこんなに理想のイメージを具体的に持っているお客さんは少ないですよ」

と言われ、四十年以上に渡る”キャリア“を認めてもらえたかのようで、私はうれしかった。

外出から戻ってくる時、道の向こうに我家のオレンジ色の屋根が見えるとほっとする。「ああ、あれが自分の家だ」としみじみかみ締める。間取り図ばかり描いて遊んでいた子供の頃の私に、「将来あなたが住む家はこんなに素敵なのよ」と教えてやりたくなる。

 

 

(社)日本ツーバイフォー建築協会会報誌「ツーバイフォー」のVol.189 2011年4月号からの転載記事です。

(2011年4月1日掲載)


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