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10月24日ツーバイフォー住宅の日記念特集|アーカイブス わが家はツーバイフォー

天文学者が住む和洋混在の家 有本信雄


写真:こだわりの書斎

▲先生のこだわりが凝縮された書斎。
外からの光を遮った暗い室内には、古めかしい米櫃や扇風機、黒電話などの骨董品が無造作に置かれています。

【特別寄稿】陰影礼賛 ―天文学者の家― 文:有本信雄


写真:外観全景
▲「堅牢な箱のような家を」というご要望を反映した外観。ドイツ暮らしの際に感心した合理的な住まいづくりを模されたそうです。

写真:エントランス
▲ポストが印象的なエントランス部分。長年の海外生活による習慣からか、表札を掲げておられません。


▲玉砂利を敷き詰めた玄関の三和土(たたき)。洋風の外観から一転して、和のテイストがお客様を出迎えます。

写真:書斎と外部空間を隔てる廊下
▲書斎と外部空間を隔てる廊下。あえてバルコニーは設けず、長い廊下空間を設けられたそうです。

稲垣足穂という作家がこう書いています。天文学とは、人気があるような、ないような物のわからぬものである。率直にいうならば甚だあいまいな学問である。浅薄な人々を捉えるべく、又よりいっそう浅薄な世間を誤魔かすべく、同時に思慮ある人士の関心を促すべく、又思慮ある階級をおどろかせるべく、これほど格好な題目は他にはない。天文学者というものはきわめて数が少ないから、志望者の多い方面はあきらめねばならぬ学生が、これを志すということも有り得るのではないか(宇宙論入門、河出文庫)。

ながながと引用しましたが、つまりは天文学というのは落ちこぼれの志す学問であると足穂は言っているわけで、実に旨いことを言います。

天文学者はよく旅をします。スペイン領カナリア諸島、チリ、ハワイなど、行き先はいつも人里離れた土地です。日本の「すばる望遠鏡」もハワイ島のマウナ・ケアという海抜4200メートルの火山の山頂にあります。

私はゴールデンウィークやお盆、年末年始での観測が多く、超満員の飛行機で、休暇を楽しむ人々と一緒にホノルルに向かいます。時差と昼夜が逆転する生活に備えて機内ではアイマスクを着けて眠り込み、冬であれば分厚い防寒具をバッグに押し込んで、ホノルルではアロハシャツ、そのままハワイ島に飛んで、ヒロから四輪駆動で山を目指します。その頃には防寒具を引きずり出して一枚ずつ着込んで行くわけです。

山頂は氷点下、溶岩だらけの荒涼たる世界。アポロ宇宙船の月面着陸の映像を撮影したと噂されるほどの土地です。とは言いましてもいきなり山頂に行くわけには参りません。なにしろ富士山よりも高いところで一晩中観測するわけですから、海抜2800メートルの中継施設で少なくとも一晩は過ごして高地順応します。

これが十分でないと山頂で高山病に罹ることもあります。そのときのためにすばる望遠鏡の観測室にはあちらこちらに酸素ボンベが備えてあります。もっともこれを吸っていると学生には馬鹿にされるわけで、そういうときには「いや、ちょっと、酸素がどういう味がするのか興味があってね」などと負け惜しみを言うわけです。味なんかするわけがないのですが。酸素を吸っても症状が回復しないようだと問答無用で車に乗せられて下山です。そういうときには戦い敗れて日が暮れてという気分ですね。でも、そのときに見上げる天の川は本当に美しい。芭蕉が出雲崎の海岸で見たのはきっとこういう天の川だったのだろうと私はいつも思います。

幸いにも夜明けまで身体がもてば、フラフラになりながら下山、そのまま施設のベッドにもぐりこんで、夕方のそのそと起きて再び山頂に登ります。こういうのが天文学者の仕事です。

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私はよく小学校に出かけて星の話をします。この頃は、地球温暖化の話をします。あと二百年もすると、南極の棚氷が溶けます。そうなると地球は金星のようになる。金星というのは灼熱の世界で、硫酸の雨が降る地獄のようなところです。逆に火星は極寒の世界、何もかもが凍っています。ですから、人類は太陽系の外にある惑星に移住しなければいけないというお話なのですが、これを聞いたあとの子供たちの反応が面白い。

あれは茅ヶ崎の小学校でしたね。おとなしそうな男の子が手を挙げてこう質問したのです。「金星ってそんなふうにとても怖い惑星なのに、どうしてビーナスとか女神とかいう女の人の名前が付いているのですか?」

何食わぬ顔でこう答えました。「それはね、君が大人になると分かるよ。」ギャラリーからは拍手喝さいでしたね。私の授業にはご両親にも参加して戴いていますから、教室の後ろにはお母さん方が沢山座っていらっしゃいます。「旨い、座布団一枚!」という声が聞こえたくらいです。鵠沼の小学校の女の子からは、「宇宙人って本当にいるのですか?」きっといますと答えたところ、間髪入れず、「じゃあ、何色ですか?」ぐっと詰まって思わず苦し紛れに、青いと思います。さあ、凄かったらしいです、その日はもう授業にならない。子供たちが興奮して、帰宅するなり。「お母さん、宇宙人って青いんだよ!」お母さんにもその興奮が伝染して、わざわざ拙宅までお電話を戴いたことでした。

感想文を戴くこともあります。三鷹の小学生。高地トレーニングご苦労様です。どうやら、高地順応を勘違いしているらしい。でも、この子達はいつか私の話を思い出して地球の未来について考えてくれる。天文学者の仕事は宇宙を探ることだけではないのです。うーむ、やはり、足穂の言葉の方が当たっているかな。

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写真:薄暗い書斎 写真:書斎の机

▲“薄暗い”書斎にて、先生と奥様。奥様は料理教室やフラワーコーディネートなど、多彩な活動をしておられます。

▲書斎の机には、先生お気に入りのオブジェや小物が並んでいます。


さて、私はこの文章を茅ヶ崎の書斎で書いています。この家はいまから十年ほど前にMホームさんに建てて戴いたものです。その頃私ども夫婦は十年近いヨーロッパでの生活を終えて帰国したばかりで、建築士の方に書斎はできるだけ暗くして下さい、谷崎潤一郎の『陰影礼賛』のようにとお願いしたところ、さすがはプロですね、顔色一つ変えません。

もう二十年になりますが、あの頃、私どもはフランスのパリ近郊のムードンという小さな町に住んでいました。作家や、画家、詩人、音楽家などが多く住む町で、そこで妻がジャン・ソーヴィという日本語を習いたてという老人に出会ったのです。シモーヌはジャンの奥さんで、厳しい人でした。

ジャンは若い頃に仏領コンゴで橋梁を架けたり、映画俳優をしたり、車のエンジニアとして活躍した人で、その頃は車の雑誌の編集長をしながら、子供向けの本を書いていました。妻はシモーヌと馬が合い、よく買い物に行ったりしていましたけれども、私にはなんとなく苦手な人でした。

私どもを毎週のように夕食に誘って戴き、食事はシモーヌとジャン、それに妻の三人が作ります。私はといえば、何も出来ません。居間で雑誌を広げて仕度を待つのが関の山です。後片付けもジャンと妻。私はシモーヌとテーブルに向いあって雑談です。けれども或る晩、シモーヌが我慢しきれないという顔で「おまえはエゴイストだ」と私を詰ったのです。「見なさい、皆が働いている。けれどもおまえはいつでも座っているばかり、何もしない。恥ずかしくないか。」私には返す言葉もありません、それじゃあ後片付けは全て私がやりますと言って、その夜からフランスを離れた最後の晩まで、食事の後始末はすべて私がやりました。今から考えると、あのときのシモーヌは私に助け舟を出してくれたのですね。

また、或る日、「日本には禅という宗教があるが、あれは宗教じゃないね」と言います。「禅は戒律厳しく己を縛る。そしてそこに解脱への道を探る。けれども、神の救いとはそういうものじゃない。だから、禅は如何に日々を暮らすかという教えに過ぎない。」

シモーヌの考え方にはいつも鋭いものがありました。若いときにはトロツキストであったというのも納得がいきます。後の話になりますが、シモーヌと私は日本の中世を舞台にした物語をフランス人向けに書くことになります。

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写真:キッチン 写真:和室

▲大きなテーブルが特徴のキッチン。ここでは奥様が料理教室を催されていました。

▲寝室としている和室。書斎からつながる廊下が、まるで旅館の部屋にしつらえた次の間のような風情を感じさせます。


そのシモーヌがある晩カード占いの手を止めて、「谷崎潤一郎の『陰影礼賛』はいい。日本の文化は暗闇を基本とする文化だ。微かな灯りの中に浮かび上がる顔、襖の絵模様、日を遮る障子、簾、深い庇、日本の座敷の奥にはいつでも暗闇がある。私はできればそういう日本の文化の中で暮らしてみたい。」それからです、いつか家を建てるなら、シモーヌが気に入るような空間をその中にはめ込みたいと私が考えるようになったのは。

そういう次第で建築士の方に書斎はできるだけ暗くするようにとお願いしたのです。外からの光を廊下と障子で遮り、壁紙は暗緑色、米櫃や桶、踏み台、黒い扇風機などの古道具が戦前の日本の家のような雰囲気を漂わせています。そこにこれも古道具屋で見つけた小学生用の二人掛けの机と椅子を持ち込んで仕事場としています。机の上には煤けたブリキの電気スタンド、刑事ドラマの取調室にあるのと同じ、スイッチを横にカチャっと捻る代物です。

夕方からこの机に向って仕事をしていますと、いつの間にか辺りが暗くなって、気が付くと私の背中に闇が広がっています。何かがそこに蠢いているような、振り向くのがためらわれる様な、そういう書斎です。灯りを燈すとかえって部屋が暗くなるよう、積み重ねた本からは湿った匂いがしてきます。

先日、久しぶりにシモーヌとジャンを尋ねました。ムードンの駅を降りて、ルクレール通りを左に曲がって、坂道を降りるとジャンの家があり、あの皿洗いをした台所の窓が見えます。あの頃のまま、何にも変わっていない。この町では時間が流れない。そう思ってふと見ると表札が違うのです。時は流れないようでいて、あの皿洗いの日々からもうふた昔が過ぎていたのでした。

もしシモーヌがこの書斎をみたらなんて言うでしょうね。ぜんぜん違うよ、おまえさんと言われるかな。

写真:和洋混在のリビング

▲リビングに「和洋混在」の雰囲気を醸している骨董品は、お二人で古道具屋をまわって集められたもの。
海外からのお客様には、とくに好評なようです。


写真:有本信雄氏 有本 信雄 氏 略歴
1951年新潟県生まれ。国立天文台・光赤外研究部教授(ハワイ観測所併任)、理学博士。 1980年、東北大学大学院終了後、日本学術振興会奨励研究員として東北大学、東京大学で研究員として勤務し、1984年に渡欧。フランス国立科学研究センター研究員、イギリス・ダーラム大学上級研究助手などを経て、1992年に東京大学大学院理学系研究科助教授として帰国。2001年より文部省国立天文台(現自然科学研究機構 国立天文台)に教授として赴任、すばる望遠鏡の科学的運用の責任者となる。著書:球状星団(地人書館)、この宇宙に第二の地球はあるのだろうか(サンマーク出版)



(一社)日本ツーバイフォー建築協会会報誌「ツーバイフォー」転載記事

 

 

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